Individualist is Post Minimalist

ものを持たないミニマリストは、自由に生きるためのきっかけに過ぎません。ポストミニマリストは、自由で人生を楽しみ、かつ責任のある生き方だと思います。そのための新しいライフスタイルを追求するためのブログです。

プライドを捨てる方法とは?

最近、プライドを捨てる方法について、ネット上の記事を探したりしています。

 

自分の性格を自分なりに分析してみると、まっとうなM(マゾ)であり、内向的であり、そして、向上心のある努力家、というのが妥当な線だと思っています。

 

この中で、内向的(introvert)な性格は、ずっと好きになれません。努力して外交的になろうとしたことがないわけではないのですが、社交的な場が好きなわけでもなく、また、友達との頻繁な連絡も億劫だったりするタイプなのです。つまりは休日も家でゆっくり本を読むのが好きな筋金入りの内向家なのです。

 

そんな内向的な私ですが、今興味を持ってチャレンジしたいのが、プライドを捨てる技術を手に入れることです。内向的な性格ゆえか、恥ずかしがりでもあるのです。内向的と恥ずかしがりは違うと、スーザン・ケイン(内向家が持つ秘めた力に焦点を当て、一躍業界のトップに)がTEDで言っていましたが、私の場合は両方当てはまりそうです。。。

 

内向的な性格よりも、恥ずかしがり屋な性格のせいで、これまでいろいろとチャンスをのがしてきたように思えます。あの時、文化祭のリーダーをやっていれば、とか、有名人にあった時に声をかけておけばよかったとか、やらなくて後悔することをもう繰り返したくありません。だって、人生短いっすから。

 

そんな私が考えた一つの解決策が、「恥をかくのを楽しめるような性格に変えてしまおう」というものです。そのためには、本当のドMになる必要がありそうです。

 

「おれ、今、こんなにもしいだけられてる。ぞんざいに扱われる。人間として扱われない。ごみ、虫けら、ドブ。」

 

ひどい扱いを受けたり、ひどい言葉を浴びせられても、それをむしろ快感に感じられるぐらい精神的にタフになれたらどんなに楽か。

 

虐げられる他には、気まずい状況、馬鹿だと思われる状況、も精神的にタフさがないと乗り越えられないと思います。

 

こういうある種ネガティブな状況に自分をいかに置く習慣を付けられたら、内向的だとか恥ずかしがり屋だとか、そんなことちっぽけなものに思えてきます。

 

プライドを捨てて生きるとは、少し違うニュアンスですが、恥をかきながら生きるっていうのも物凄くインパクトのある生き方だと思う、この頃です。